TANIGUCHI Seminar Column.BBS
03[2005-2006]


利用方法   更新  削除  検索    home

No.101 竹田 雅史
(8KB)
final3

第16回関西ラクロスリーグ戦は8月22日の開幕戦から始まった。夏の容赦ない日差しをあび,夏休みの大半を練習に費やし,『関西制覇』の目標を成し遂げるべく,勝利を得るべく戦った。負けが人を大きくする。負けて得られることも多い。確かにそーかもしれない。しかし,負ければ先に進めない。貪欲に上を目指すなら,負けて得られるものよりも,勝って得られるものを優先すべきである。私は3回で来年がある。しかし今の4回生と一緒に戦える夏は今年しかない。全メンバーがそーいった強い気持ちを携え,リーグ戦を戦ったに違いない。結果,5勝2敗でリーグ戦を終え,3位通過でfinal3(プレーオフ)を決めた。
final3に進んだ大学は関西学院大学,京都産業大学である。2校ともリーグ戦で敗れた相手である。関学は毎年優勝候補の強豪。京産はU21(21歳以下)日本代表のゴールキーパーを有するチーム。どちらも強いことには変わりない。11月19日,final3準決勝が伊丹で行われた。対戦カードは立命VS関学。先制点は立命。主将のミドルレンジからのショットが相手ゴールに突き刺さる。その後,逆転され2−4で前半を折り返す。3Q(クウォーター)に入り4−4と追い付くものの,クウォーター終了間際に決められ,4ー5。4Q,最後のクウォーターも緊迫したゲームを演じ,残り時間1分を残し,5ー6。応援席もベンチもなかば諦めていたかもしれない。しかしフィールドのメンバーは肩をおろしていない。しかし時間がは無情にも過ぎていく。残り何秒かはわからない。立命の放ったショットが相手ゴールに突き刺さる。同点。サドンビクトリーに突入。奇跡か必然か。フィールドが観客席が震え上がる。延長戦に入り,主将のショットが突き刺さる…。決めたのは立命。最高のゲームを演じ,歓喜の声と共にfinal3決勝の切符を手にした。この時の
喜びは類をみない,最高のものでした。チームで何かをし,やり遂げる,結果を得ることは人の成長に大きな影響を与えることを強く感じました。


05/12/22 21:00
No.100 田中 恒
(13KB)
人の関係

「人」という文字がある。白川静先生の解によると、この文字の字源は一人の人を象形化して生まれたらしい。一方で、この文字は2人の人が支えあって成り立っている、という金八的な解もある。

この文字に関して、一つの疑問があった。どちらの字源が正しいのか、では無い。もし支えあっているとしたら、どれくらいの力関係でこの調和を成立させているのか、だ。よく見たらかなり不安定。
数年来のこの疑問を、物理に通じる友人に頼んで解いてもらった。

摩擦、重力、反発力・・・物理から逃げてきた自分には何がなんだかわからないが、文字の2人をできるだけ簡略化し、2人の関係性を、左の人の右の人に対しての寄り掛かり力と右の人と左の人との摩擦力の比率として解を得た。

答えは、60:38。
恋愛関係は6:4くらいの関係がちょうど良い、という分析があるらしいが、その分析の数値と同じだった。

人間関系は複雑怪奇。いちいち力関係なんて、気にしていられるものでは無い。だが、その関係が一方的過ぎては成り立たない、かといって立場関係が等しくても、なかなか上手くはいかないものだ。6:4、この数字のなんと絶妙なことか。

この計算、正しいかどうかはわからない。字体によってその関係も様々だ。いろいろとはしょってもいるし、実際問題大分怪しい。だが、この数年来の疑問が解けたこと、それが嬉しかった。しかもなんだかもっともらしい。
これが僕の中での答えになった。答えは心の中にあれば良い。その答えが僕を、前へと押し出してくれる。

このしょーも無い疑問に付き合ってくれたO君に、感謝。怪しいとか言って、ごめんな。


05/12/15 4:08
No.99 竹田 雅史
(24KB)
ツリー

12月に入り,イルミネーションが輝くようになりました。私の家の周りでも外壁にイルミネーションを光らせる家がでてき,多くの場所でもクリスマスムードを感じさせます。その中でも今回は京都駅の大階段のクリスマスツリーをとりあげました。私が京都駅近くで働いていることもあり,このツリーをよく目にします。12月に入ると毎年とりつけられ,大階段に人が集まります。このツリーは比較的大きく,近くでみると少し圧巻です。私がクリスマスツリーでイメージする場所は,京都駅と海遊館とUSJです。USJのツリーは直に見たことはないですが,とても大きく京都駅のクリスマスツリーももっと大きなツリーにしてもいいのではないかと思います。私が小さなころは毎年この時期になると小さなクリスマスツリーを押し入れの奥のほうからだしていました。いつからか,家でクリスマスツリーをみかけなくなりました。それがいつからかははっきりとはわかないけど,今思うと少し寂しくも感じます。家族でクリスマスを向かえたり,プレゼントをもらったり,そういったこともなくなり,感じること・期待することもなくなってきたように感じます。ほかの人の
家のことはわかりませんが,大学生にもなるとそういった家,そう感じる人も増えてきたのではないかと思います。少し大人になったのだろーか!?感じかたも変わってきたのだと思います。ただ毎年クリスマスは楽しみなのはかわらないです。


05/12/12 20:08
No.98 中井 直
(24KB)


自然と共に歩む方法
 
 11月は何故か自然を感じたくなったので、環デの友達と三重県の赤目に滝を見に行った。ここは赤目四十八滝と呼ばれ、「四十八」というのは滝の数が多いことを示している。元々、この場所は伊賀忍者が霊地として修行の場、または参拝の場であったそうだ。今では、滝の綺麗さを純粋に感じながらも、心身を癒すマイナスイオンを感じることの出来る場所、森林浴やハイキングといった健康・やすらぎを目的とした観光地となっている。また、なによりの魅力は特別天然記念物のサンショウウオを見ることが出来るということだろう。
 
 山登りをしていると気づいたことがあった。それは人が多く訪れ、弁当やお菓子などを登山中に沢山食べているのにも関わらず、ゴミが一つも見当たらないということだった。マナーとして、当然と言えば当然だが出来ていない観光地も多い。例を挙げると富士山がそうであろうか。
 
 ゴミが少ない理由の一つとして、やはりサンショウウオの存在が大きい。サンショウウオはヨーロッパでは大昔に絶滅してしまい、今は日本と中国と北アメリカでしか生きていない。彼らは一生水中生活をするので、綺麗な水が流れる場所でしか生きられない。つまり水を汚すことは彼らを殺すことになる。ここに来る人は少なくてもそれが分かっている。一概には言えないが「生命」というものが身近に感じることが出来るなら、人は自然を守れるのではないだろうか。ただ、逆に考えると、特別天然記念物だから守らなければならない、法律で規制されているから守らなければならないという理由でゴミがないと言うのなら、なんて情けない話だと思う。
  当たり前の事をするだけで、守れるものがある。そのことが大事ではないだろうか。


05/11/29 21:42
No.97 田中 恒
(21KB)
ホタルのこえ

気持ち的には6月分。
 縁あって、今年はたくさんのホタルを見た。琵琶湖の育む水の豊かさもあるのだろうか、関西にはホタルを見るスポットがたくさんあるようだ。BKCの周囲でも、意外にもホタルを見かけることができる。

 日本人はホタルが好きだ。成虫となってから、彼らホタルが生きられる時間は短い。その短い期間、光り、飛び回ってパートナーを探す。そして、やがて消えていく。そんな儚さに初夏の風流を重ねているのだろうか。ゲンジボタル、ヘイケボタル。その名称からも、そんな儚さを感じなくも無い。

 昔の日本には、ホタルなんて当たり前にいた。「蛍狩り」というのが夏の子供たちの遊びの一つ。浴衣を着てホタルを追い掛けまわす子供たちの姿が目に浮かぶ。しかし、日本人の生活が変化した。騒音・光害・水質汚染、彼らの居場所が奪われた。ホタルの光で書を読まなくても、どこへ行っても光がある。ヒトの進化はいつしか生物の進化から逸脱していた。それに気づいていながらも、なおそれを正当化できるヒトがいる。

 ホタルってやつらは、きれいすぎる水でも育たない。なんて我が侭なやつらだろう。
 関西のホタルは2秒に一度、関東のホタルは5秒に一度光るらしい。関西のホタルはせっかちだ。こいつら、人間のお国柄だって心得てる。
 ただ光るだけじゃない。彼らは様々なことを理解し、我々に訴えかけている。
 地球の声に耳傾けよう。そこには気づきが、きっとある。

05/11/28 1:00
No.96 阿部 順子
(19KB)
シンプルが難しい

11/17に大阪でACC CMフェスティバルが行われ、見に行ってきました。全国から応募されたCMのなかから選りすぐりのCMを見ることができます。また、なかなか聞く機会のないラジオCMも聞くことが出来ます。今回ははじめて参加しましたが、お客さんは大学生から20代から50代の社会人まで幅広いものでした。
さて、本題のCMはというと、シルバーやブロンズのCMの中にはグランプリやゴールドをとったものより面白いものがあると思いました。会場の反応も見ていましたが、大体同じような感じでした。審査基準などはっきりしたことは分かりませんが、「面白いかどうか」だけではなく、「新しいこと」も評価しているのではないかと思います。また、日本のCMが国際広告祭で賞をとりにくくなったのには日本の景気の低迷とともに企業が宣伝費を削減したため、タレント広告や短い広告が増えたためだといわれています。私は国際広告祭で賞を取ることがすべてだとは思っていませんが、短い広告でいい広告を作るのはかなり難しいと思います。しかし、逆にラジオCMでは長すぎて伝わりにくいものもありました。いかにシンプルに伝えたいことを伝えるかが問題だと感じました。
大阪は終わりましたが、京都でも12/9にありますので、興味のある人はいってみてください。詳しくはhttp://www.acc-cm.or.jp/festival/05fes_result/schedule.htmlでどうぞ。


05/11/20 23:50
No.95 井上 彩子
(13KB)
こどもごころ

 もう季節は冬ですが、少し思い出したので・・・
 今年の7月7日は友達と集まって七夕というイベントを思いっきり満喫してみました。
 いったいいつぶりでしょうか?七夕に笹の葉を買って短冊をつらさげてお願い事をしたのなんて・・・。
 思い起こせば、幼稚園のころ、毎年短冊にお願い事をかいて笹の葉につるしたものです。あのころは、きっと何てことないお願いを書いていたんだろうけど、そのころは子供なりに真剣だったでしょう。年齢を重ねるにつれ、子供心の純粋さがうらやましくなります。毎日が不思議でいっぱいで、好奇心が旺盛で、一生懸命なこどもがすごく素敵にみえます。バイト先で、所持金600円のこどもがポケモンの映画の500円のパンフレットを買おうか必死に悩んで格闘している姿はなんとも言えず、ほほえましかったです。
 今の時代は様々な技術が進歩してしまって、こどもがこどもらしい遊びをしていないのではないかと思います。私が小学生のころは、休み時間や放課後は運動場に出て遊んでいたものです。きれいでピカピカの泥団子を作ることに必死になったものです。でも、きっと今の子供たちは、教室や家の中でテレビゲームやパソコンで遊んでいることが多いのではないでしょうか?
 最近の小学校では、『順位をつけるのは良くない』『みんな平等にすべき』という考えのために、運動会のリレーでは最後一緒にゴールをするというシステムがあるそうです。私はそれって何か間違っている気がします。順位をつけるのと平等というのは違うと思うし、小学生のころは何事にもがむしゃらで頑張るから、学ぶことも多いはずです。でも、そのせっかくの機会を周りにいる大人たちが潰してしまっているのではないでしょうか?
 私はこどもの純粋さ、まっすぐさを忘てはいけないと思うと同時に、それはすごく素敵なことだということを伝えていくべきだと感じています。

05/11/09 0:21
No.93 田中 恒
(15KB)
変わるダム

気持ち的には7月分
 僕はダムが好きだ。地図に「〜ダム」と見つけると無性に行ってみたくなる。年に10箇所くらいは立ち寄るだろうか。高いところは苦手だけれど、それでも行ってみたくなる。

 ダム、と言っても色々だが、その主な目的は貯水と洪水の予防。平坦な国土の少ない日本では、山に降った雨がすぐに海に、街に流れ出してしまう。だから山中に湖を作って貯めておく。
 一方でその開発によって生じる環境・人への影響、莫大な費用など、田中長野県知事の脱ダム宣言に代表されるように、悪玉にされがちだ。

 最近、かどうかは知らないが、そのダムに変化が見られる。
 写真は京都市のとなり日吉町にある「日吉ダム」。このダムには広大な芝生の広場が設けられ、親水スペースも用意されている。また、「スプリングひよし」という施設が付随し、プール、温泉、グラウンドゴルフ場などなど・・・一大アミューズメント施設の様相だ。イメージ改善のためか、このようなレクリエーション施設や学習施設を付属するダムが増えている。

 僕が立ち寄った日は休館日だったらしく、人影はゼロ。果たして開館日にどれほどの利用があるのか知らないが、ダム周囲の施設を所有・管理するのは日吉町。ムダな公共事業の感が否めない。

 だが、その善し悪しは置いといて、気持ちのいい、場所だった。
 21世紀のファミリースポット。そんな隠れた顔も見えてくる。

 ダムには重みがある。その迫力、風景、歴史。。。
 場の意味性が、身体に響く。
 その心地よさに、魅せられる。

05/11/05 6:03
No.90 井上 彩子
(24KB)
親の思い、子どもの思い

 10月最後の土曜日に私の兄の結婚式が行われました。私は大のお兄ちゃんっ子ですが、兄が結婚することは寂しいというより、喜びでいっぱいでした。しかし、兄の結婚には両親はあまり賛成ではなかったので、兄にとってたくさんの困難を乗り越えての結婚でした。そもそも兄は結婚式をせずに入籍だけをするつもりでした。しかし、どうしてもという親の意向により、身内だけでの結婚式とちょっとした披露宴のようなものが行われました。
 私には兄がどうしてそこまでかたくなに結婚式を行わないというのか正直疑問でした。少しくらい親の望むようにしてあげてもいいのではないかと・・・。また、親もどうして素直に兄の幸せを喜べないのか不思議でした。親はいつも「もっと感謝してほしい。」と私に愚痴をこぼしていたのです。
 披露宴で兄は最後にあいさつをしました。
 「親や兄弟、周りの人がたくさん支えてくれているのは分かっているし、感謝をしているつもりだ。ただ、多くの人の支えや気持ちを自分たちでは受け止めきれず、ほとんどがこぼれてしまっていると思う。まだまだ器の小さな自分たちだから、全てを受け止めることはできないのである。そんな自分たちを皆さんにお披露目するほどのものではないと考えていた。ただ、皆さんの思いを受け止められる分はしっかりと受け止めて、感謝をして頑張っていきたい。」
 すごく考えさせられる言葉でした。親はいつも子供である私たちに多くの支えと期待を投げかけてくれています。ただ、やっぱりその全てを私たちが受け止めることはとても難しいことなのです。こぼれてもいいから、その少しでも受け止められることが大切なのではないでしょうか。
 私もいつか親になったときにぶつかる壁なのかもしれません。ただ、親になって初めて気づける思いなのです。

05/11/02 1:03
No.89 中井 直
(23KB)


BKCでお気に入りの場所
 
 みなさんはBKCで好きな場所はどこだろうか?私はコラーニングハウスUとBKCジムの間にあるちょっとした空間がとてもお気に入りで、授業が空くなどの暇があれば、この場所にたまに出没する。ここで「なにをしているのか?」と言われれば、はっきり言って何もしていない。敢えて言うなら、ベンチに寝そべって空を眺めたり、借りてきた本を読む、あるいはそれを枕替わりに使って寝ているぐらいだ。また、人通りも少なく、さらに風で木が揺れる音なども聞けるので、私にとってここはリラックスの場となっている。だが、気温の問題もあり、春と秋という短い期間でしか味わえないのが残念だ・・・。
 
 この場所に来て、空を眺めていると小学校などの時と比べ、「こんな風に空を見ることが少なくなったなぁ〜」と思う。今の世の中、仕事や受験勉強、コンピューターなどのデスクワークが増え、いわゆる競争社会という流れに取り込まれているので、外でゆっくりする機会が減っているように思う。雲のゆっくりした流れを見ていると、自然の壮大さを感じ、自分の悩みや考えがちっぽけなものに思えてくる。そして「人は何を急ぎあせっているのか」とも思う。時には急ぐことも大切だが、たまには文明に触れず「自然」を感じるべきではないだろうか?私にとって、これがスローライフと呼べるものなのかもしれない。
 
 
これから、就職活動などで大変だと思うが、空をゆっくり眺めていられるよな余裕をもった人生でありたいと思う。
 


05/10/31 23:54
←PREV  NEXT→

home

copyright(c)2003-2005 Community Design Lab. All right reserved

-レッツPHP!-