TANIGUCHI Seminar Column.BBS
03[2005-2006]


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No.133 携帯電話の連絡先変更について

浅田理絵 です。
この度、携帯電話のEメールアドレスを変更致しましたので、ご連絡いたします。

お手数ですがご変更の程、よろしくお願い申し上げます。

Eメールアドレス
Friends.TheSun.And.WarmFeeling@softbank.ne.jp


09/10/13 13:48
No.132 広瀬徹
(32KB)
一線・・・幕

最近ふと考えたことなのだが、人間の感覚(感動、感嘆、驚愕、発見)がやはり崖っぷちになっているように思える。例えば、我々の記憶にも残る酒鬼薔薇聖斗が起こした神戸連続児童殺傷事件。この14才の少年によるバラバラ殺人事件は世間に恐怖を、混沌を与えた。テレビでは連日に次ぐ報道が流され、コメンテーターは大忙しで社会・教育を批判した。今思い出してもおぞましい事件である。最近でもこのような異常犯罪(従来に比べて)は存在し、犯罪の質が微妙に変化してきていると言えるかもしれない。しかし、よく考えてみると我々の生活の中には日常茶飯事である。それはドラマであり、映画であり、あるいは本の中に常に存在している。映画の物語が世間に恐怖を、混沌を与えるには至らない。そこにはスクリーンを通したただの出来事でしかない。もし、神戸連続児童殺傷事件がスクリーンの出来事ならば彼は渡辺謙のような賞賛を浴びられたかもしれない。なんということはない。酒鬼薔薇聖斗にはスクリーンがなかっただけの話なのだ。テレビでは一日に何人もの人が殺されるという事実が、酒鬼薔薇聖斗というような真実を生み出してしまった。こう考えることもできなくはない。私たちは慣れてしまったのだ。これは実に恐ろしいことである。正義と悪。正常と異常は表裏一体。紙一重である。このような文化が続く限り、いずれスクリーンというダムが決壊し世の中は終わるかもしれない。


07/02/27 15:48
No.131 広瀬 徹
(16KB)
水をください

現代の我々、日本人がこの言葉を口にしたところで悲愴感を感じることはない。
一度は見なければいけないと脳の片隅で意識はしていたが、22年経ってようやく行くことが出来た。広島平和記念資料館。
1945年8月6日8時15分を境に人々の日常が地獄に様変わりしたのである。放射能に蝕まれ、熱線により焼け爛れ、爆風によって吹き飛ばされた。この事実を初めて目にした。涙が流れてくる。館内では実際に被爆した人がボランティアでその時の様子を聞かせてくれる。正直、想像を超えていた。私は2日間この資料館を訪れた。到底1日では見られないと私は思う。ここで、何を感じたとか思ったことは割愛する。自分の目で見て感じたことが全てである。それを行ったことのない人に押し付けるのはどうかと思うからだ。
世界で唯一の被爆国、日本。この日、テレビをつけると柳沢大臣の発言について野党が辞職を迫っていた。日本の舵取りが一体何をしているのか。くだらん。全くくだらん。メディアも政治も学校も。飲んで明け暮れていた学生生活が馬鹿馬鹿しい。もったいなかったと自分への戒めも含めつつぜひ広島には行って欲しい。とこれを読んだT先生は今だけそんな感傷的になって・・・と思っているだろうが、それはそれでいい。


07/02/14 16:49
No.130 奥田 彩
(59KB)
ウソをつかない男

「ノルウェイの森」を今日読み終えた。21歳の今日、出会えて本当に良かったなと思える作品だったのでコラムに書くことにした。
ノルウェイの森の主人公は、頭も外見も才能も至って平凡な大学生「ワタナベくん」。しかし彼を取り巻くこの物語に、ぐいぐい引き込まれていった。彼の物語にこんなに一生懸命になってしまうなんて思ってもみなかった。彼は、絶対にウソをつかないのだ。
全くウソをつかないことは、簡単そうに思えてなかなか難しいと思う。小さなことでもウソになるし、私はついて良いウソ・悪いウソがあると思っていた。そんな私に比べて、彼は全てに正直だった。正直すぎるあまり、何事にも不器用だけれど、大らかで我慢強くとても魅力的な人だった。
けれど、彼の人生にはただならない葛藤があった。
彼は17歳の時に、たった1人の友達を亡くした。「鼠だって電気ショックを与えれば傷つくことの少ない道を選ぶようになる」。という主人公の先輩の言葉の通り、彼は葛藤から逃れようしていた。周囲からも逃げていた。自分のことを理解してくれない人には理解してもらわなくても良いと思っていた。だからこそ、誰にウソをつく必要もなかったのだ。
そんな彼をぶっ壊す人物が登場する。元気すぎてガサツな女子大生「緑」だ。しかし、そこが憎めなくてとても可愛い。この「緑という友達への気持ち」と「愛する女性を守るために強くなろうとする気持ち」が、彼の心を次第に人間らしいものへと変えていった。彼が21歳の時だった。
この本は、いささか学ぶべきところがたくさん含まれていた。最後に私が気に入った緑と彼の会話。
「どれくらい好き?」
「春の熊くらい好きだよ」
恋愛と生き方について、考えさせられる一冊だった。


06/05/21 12:23
No.129 中園昇
(33KB)
卒業研究概要

研究テーマ

草津市(或いは長浜市)における地域コミュニティ
    〜多文化共生を考える〜

研究の背景
・立命館大学が創立されて以来、草津市に多くの留学生はもちろん、外国人が暮らすようになった
・また、長浜市にも多くの外国人労働者や国際結婚されている方々が暮らしている
・一方で、外国人による犯罪が近年多発している
・そのような中で、草津市(or長浜市)ではどのような地域コミュニティの形成が行われているのだろうか。また、どのように国際交流を図っているのだろうか。

目的・概要
・草津市(or長浜市)の多文化共生におけるまちづくりを活性化させていく
・具体的には、国際交流まちづくり団体に協力してイベントを企画・運営に携わる
・そして、様々な国の人たちと共生する中で、異なった価値観を認め合えるようなコミュニティ形成を生んでいきたい

アウトプット・イメージ
・草津市、長浜市の土地・文化・伝統等を理解する
・インターネットや新聞で草津市のイベント関連情報を調べる
・国際交流まちづくり団体にお話を聞く
・ イベントに実際参加してみる、もしくは自分もイベントの企画・運営に携わってみる
etc…

まだ、概念でしかないので、写真は新入留学生合宿での夕食パーティを写したものです。


06/05/19 0:33
No.128 亀井憂子
(17KB)
研究の概要

1.研究テーマ

美術館における学習プログラムの効果的な導入法

2.背景・問題意識

世代国籍を問わず、もっとも身近に美術と触れ合える場所、
それが美術館(博物館を含む;以下略)である。
美術館の持つ潜在的能力は「展示する・ただ見せる」だけに留まらない。
社会との接点であり、心の豊かさを育む場所でもある。
近年では、金沢21世紀美術館やジブリ美術館等、
アミューズメントスポットとして話題を集めている美術館も登場している。
しかし現実は厳しい。1990年代より、民間美術館の閉館が相次いだ。
既存の美術館も予算削減や相次ぐ法改正(地方自治法・独立行政法人法など)など、

取り巻く環境が大きく変化している。
今、美術館は従来の経営スタイルからの脱却を求められているのだ。

3.目的・概要

この研究では、より観客に親しまれるために、各美術館がどのような取り組み、
工夫を行なっているかを調査する。
特に、美術館が観客の感性を育む、一種の学びの場である点に注目し、
学習プログラムの導入例調査を主軸に据える。
調査の際は、社会的な貢献(地域とのつながり・国際交流など)に加え、
学習プログラムが、経営面に対してどのような効果をもたらしているのかにも注目し
たい。

4.アウトプット・イメージ

5〜6月;文献・インターネットを中心とした調査
・美術館訪問の現状データ収集・分析
・アートマネジメントに関する文献調査
・法改正について調査

7〜9月;フィールドワーク・聞き取りを中心とした調査
・研究対象とする美術館の取り組みについて
・NPO等、美術教育を行なっている活動の調査

9〜11月;比較・研究、補足

12月;まとめ



06/05/09 21:00
No.127 カラオケで…
(45KB)
『人間は環境によれば人をあやめたりも普通にしてしまう』
これは僕が持っているマンガのコメントです。
話は飛んでカラオケでのお話!!みんなこの時期飲み会やら打ち上げやらでよくカラオケ行くことでしょう。しかし!カラオケってフリータイムとかで歌うと意外とみんな寝てしまったり、歌う曲がなくなってしまったりでダラダラしてしまったりしませんか?そういった時にこのゲームをしてみて下さい。今回紹介するゲームというのは、異性のボーカリストの曲を原曲で歌うというものです。そして採点して負けた人は罰ゲーム。これを行えばテンションも雰囲気も上がります!ぜひ一度やってみて下さい!ちなみに僕のMISIAは高得点でした。88点です。

それで話は戻るけど、なんでこれでテンションが上がったのか考えてみた。カラオケはたいがい男は男性の歌しか歌わない。女性も同じように基本的には同姓の人の歌を歌う。これは言えば今ある環境。環境と言うのは大きくいえば常識であり、それは壊す事で楽しみを覚える事ができる。高校で校則やぶって学校抜けだして友達と遊んだりする様に、人間にはルールを破って、環境を打破する事で新たな道、喜び、発見を得ることができると思う。なんでも『できない』ではなくやってみる事が大切だ。そして自らの環境を変えてしまうと、自分のキャパシティが広がる様に思います。試してみて下さい。
出た杭打たれる時もあるけどね。


06/01/31 22:49
No.126 ゲーム機
(37KB)
僕は、小さい頃から結構TVゲームをしてきています。いわゆるハードゲーマーです。ゲーム機をかれこれ18年近く身近に見てきたけど、最近のゼミによるいろんな体験を通してゲーム機を改めて見てみると、様々な点で消費者の不満を解消していき、現在のゲーム機に至っているのがよくわかります。僕の現在所持しているゲーム機はPS2というゲーム機。今回はそれについてコラムを書きたいと思います。

たくさんありすぎるので部分的に絞って僕なりの凄いと思う点を書きたいと思います。今回はコントローラーに絞ります。コントローラーというのは言うならばゲーム機を使う時、本人と触れ合っている所。一番不満が出てくる場所だと思います。やし物凄く改善されてると場所だと思います。コントローラーってよく見ると凄い計算されてます。まずコントローラーが立体的になっている点。昔はゲームのコントローラーて厚さ1センチくらいのうすっぺらい、ひらべったいものでした。それが今はグリップが付き、立体的になり、持ち方の幅も大分広がったし、コントローラーを持つこと自体に疲れにくくなった様に思います。コントローラーを『握る』のではなく『支える』といった動作だけでよくなりました。次にコントローラーと本体を結ぶコードの長さが長くなった点。昔はコードが短かったためゲーム機の近くで、狭い範囲内でしかゲームが出来ませんでした。この点によりそれが解消され広い範囲でゲームが出来る様になりました。最後にボタン。昔はAボタンBボタンというアルファベットのボタンでした。今も有りますがPS2は□とか△といった記号のボタンがありま
す。これによりボタンに親しみを持てた人も多数いると思うし、小さな子供でも、どれがどのボタンかわかりやすくなったと思います。あとボタンが増えた事も様々なゲームに対応しゲームの複雑性を増すために大きな意味があると思います。ボタンの増加は複雑になりすぎて、わかりにくい人も増えそうですけどね。

という感じにだいぶ省略して書きましたが、ゲーム機もだいぶ消費者のいろいろな不満などから進化した事を考察できる事がわかってもらえたでしょうか?たかがゲームされどゲームです。そうやってあらゆるものも進化してきたんでしょうね。今回のコラムは多少オタクな感じでした。


06/01/31 21:23
No.125 津駅の景色
(20KB)
ちょい前のコラム。今回の冬休み、みんな様々な過ごしかたしたと思います。僕はというと実家に帰って地元の友達と毎晩飲んだり、遊びまわったりです。ぐーたらやけどこれが僕達の中では長期休暇の日課みたいで、たまにはこんなんもいーもんです。それでそのグータラ生活中で印象に残った事を一つ。

写真は僕の出身地である三重県は津のある夜景。しかし津にいる人でもこの場所でこの風景を、見た人はほとんどいないと思う。もう少し掘り下げてみると、この夜景は僕が小学4年から高校三年まで約9年間お世話になったある塾の屋上から撮った写真なんです。つまり屋上に登った者しか見ることができない風景なんです。風景と言ってもパッと見てわかる通り、だいぶさっぱりしてたいした事はないと思われると思います。でもやっぱ僕らにはとても大事な、忘れれない風景なんです。

子供の頃っていろんな事が未知過ぎてほんの小さな事でもめちゃくちゃ感動しませんでしたか?もちろん僕もそんな子供やった。塾にも馴れて塾に友達もできてきた頃、トイレの窓から隣の屋上にとびうつれる事を発見。でも明らかに危ない。ビルとビルの間やったからね。落ちたらただではすまない。でもどうしても僕らは登りたかった。理由なんてないです。景色なんてもっと高い階数で見たらいいだけだし。そして僕らは登った。
感動でした。ほんまにしょーもない景色なはずなんやけど、めちゃくちゃ綺麗な景色に見えた。みんなで屋根の上で叫んでガッツポーズした。
とまぁ僕にとってこんな景色なんです。他人にとってはどーでもいい。しかし自分にとっては一つの景色で景色の色は十人十色。こういった自分一つだけのモノて大切やね。



06/01/31 21:22
No.124 中井 直
(25KB)


コミュニティ形成に必要な意識
最後のコラムになります。
 
「みなさんは何か物事をするのにあたり、何が難しいと感じるだろうか?」
 
時と場合、環境などによって様々な答えがあると思う。しかし、私はすべてに共通して「きっかけ」というものが大変重要になってくるのではないかと感じる。行動するのにあたり、「きっかけ」は必ず同行する。それが例え「なんとなく」という感覚や強制的なものであったとしても、おそらく無意識のうちにその事を、自分の中でどこか納得しているはずである。だから、あくまでそれは自分の意思に基づいての行動ではないだろうか。人間は本当に嫌なことであれば続かず途中でやめてしまうものだ。なので、そのような「仕方なしに」といった「きっかけ」を改めて振り返ることで、これから将来的に目的や意思のある「きっかけ作り」に役立てる事が出来るのではないかと思う。だが、これは重要であると共に大変難しい。
 
また、人間関係においての「きっかけ作り」から「お互いのコミュニティを深める」まではもっと難しい。しかし、これらの過程を少し簡単にする方法がある。それは何か好きなものを持つことではないだろうか。例えば、私はテニスが好きなので、テニスという媒体を通し、それを材料にコミュニティを深めることが出来る。「きっかけ作り」としてスポーツは「言葉がさほどなくても良い」、「また一緒に協力することで仲間意識が芽生える」という点で、最適だと言えるのではないだろうか。
  常に「好きなものを増やそうというチャレンジャーである」ということがコミュニティを形成するのに必要ではないだろうか。


06/01/29 18:35
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