No.132 広瀬徹 |
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一線・・・幕
最近ふと考えたことなのだが、人間の感覚(感動、感嘆、驚愕、発見)がやはり崖っぷちになっているように思える。例えば、我々の記憶にも残る酒鬼薔薇聖斗が起こした神戸連続児童殺傷事件。この14才の少年によるバラバラ殺人事件は世間に恐怖を、混沌を与えた。テレビでは連日に次ぐ報道が流され、コメンテーターは大忙しで社会・教育を批判した。今思い出してもおぞましい事件である。最近でもこのような異常犯罪(従来に比べて)は存在し、犯罪の質が微妙に変化してきていると言えるかもしれない。しかし、よく考えてみると我々の生活の中には日常茶飯事である。それはドラマであり、映画であり、あるいは本の中に常に存在している。映画の物語が世間に恐怖を、混沌を与えるには至らない。そこにはスクリーンを通したただの出来事でしかない。もし、神戸連続児童殺傷事件がスクリーンの出来事ならば彼は渡辺謙のような賞賛を浴びられたかもしれない。なんということはない。酒鬼薔薇聖斗にはスクリーンがなかっただけの話なのだ。テレビでは一日に何人もの人が殺されるという事実が、酒鬼薔薇聖斗というような真実を生み出してしまった。こう考えることもできなくはない。私たちは慣れてしまったのだ。これは実に恐ろしいことである。正義と悪。正常と異常は表裏一体。紙一重である。このような文化が続く限り、いずれスクリーンというダムが決壊し世の中は終わるかもしれない。
07/02/27 15:48
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